行政書士 大庭孝志 の今日もステップ!!

ステップ行政書士法人で代表者をやってます。行政書士業務の色んなこと、趣味や日常生活のいろんなこと みなさまお付き合い下さい
管理者ページ 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
こちらをカチッとお願いします

文藝春秋11月号の巻頭特集は
「独占公開 田中角栄の恋文」

リンクは10月号ですが、最新号は11月号

文藝春秋 2011年 10月号 [雑誌]文藝春秋 2011年 10月号 [雑誌]
(2011/09/10)
不明

商品詳細を見る


越山会の女王といわれた佐藤昭子さんのお嬢さんが
亡くなった母の遺品の中から保管されていた手紙が
田中角栄氏が佐藤昭子さんやそのお嬢さんへ当てた手紙
今回のこの記事の中でその手紙が公開されていますが
立花隆氏がその手紙の内容や価値について解説を加えています

田中角栄氏は立花隆氏の金脈問題の記事によって退陣したと言われていますが
実際はそうではなく、その次に発表された
児玉隆也氏の「淋しき越山会の女王」の記事によって
田中氏が退陣したのだという説もあるくらい

決定版 私の田中角栄日記 (新潮文庫)決定版 私の田中角栄日記 (新潮文庫)
(2001/02)
佐藤 昭子

商品詳細を見る


ちなみに佐藤昭子氏の経歴は下記の通り(以下、ウィキペディアより引用)
1946年衆院選時に選挙活動をしていた田中と出会い、選挙活動を手伝う。新潟県立柏崎高等女学校を経て東京女子専門学校(現、東京家政大学)に進学するが中退。離婚を経て、1952年、田中角栄秘書となる。イトーピア平河町ビル内の田中の個人事務所にあって田中の政治団体・越山会の統括責任者などの要職を歴任。「越山会の金庫番」・「越山会の女王」と称された。1979年に本名を「昭」から「昭子」に改名。一女あり(佐藤敦子。田中の子と云われているが、認知はされていない)。
1985年、田中が脳梗塞で倒れて政治生命を失うと、娘の田中真紀子によって事務所は閉鎖。早坂茂三とともに田中事務所を解雇された。原因は真紀子と昭子側の根深い対立関係があったとされている。解雇後は自ら政治団体「政経調査会」を主宰し活動、著書を出版した。また旧田中派議員・関係者等の人脈に連なり、政治資金を提供するなど政界になお一定の影響力を持っていた。
自由民主党木曜クラブ(田中派)への影響力も強大であった。かつて田中派の中堅・若手議員であった橋本龍太郎・小渕恵三・羽田孜・小沢一郎らにとっては政界における姉貴分であり、所属党派が分かれた後も揃って「ママ」と呼んで慕った。
2010年3月11日、東京都内の病院で心不全により亡くなった。81歳没。


スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oobaoffice.blog28.fc2.com/tb.php/1821-b84c15cd
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。