行政書士 大庭孝志 の今日もステップ!!

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前回の大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」では
徳川家康と豊臣秀頼の二条城での対面

「大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」」の公式ホームページ

豊臣秀頼の器量については評価は大きく2分します

京都二条城での家康との会見については、
この時点で秀頼が家康への臣従を意味すると見る説と、
引き続き秀頼が家康との対等性を維持したと見る説とがありますが
ドラマでは、対等性を維持したことにより、家康が秀頼の器量を恐れ
一気に豊臣家を追い込んでゆくことになるようです

1611年の春に二条城での秀頼と家康との対面が行われますが
このとき秀頼は18歳、家康は69歳
親子若しくは祖父と孫くらいの年齢差であったのですが
家康が亡くなったのは、大阪夏の陣で豊臣家が滅亡した翌年
そう考えると、おそらく家康はこの二条城での対面で
自らの老いと、秀頼の若さと将来性に危惧を感じ
徳川安泰のためには何としてもこと将来性有る秀頼をつぶすしかないと考え
言いがかりに近い形で豊臣に無理難題を吹っかけてまで
豊臣家の滅亡に走ったのではないかと思います

その思いが実現した翌年に家康が亡くなったことから
そのように思えてならない

その約250年後に同じ二条城で
大政奉還が行われて、徳川幕府が終わりを遂げたのは
やはり歴史の因縁としか思えません


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